福岡地方裁判所 昭和52年(ワ)1727号 判決 1981年2月24日
原告
鎗光隆雄
右訴訟代理人
山出和幸
被告
中山太郎
右訴訟代理人
倉増三雄
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一九七二万二六八八円及びこれに対する昭和五二年六月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 (被告の職業)
被告は、肩書地において中山内科医院(以下「被告医院」という。)を開業している医師である。
2 (診療契約)
原告(昭和五年三月一三日生)は、昭和四五年九月七日被告医院において被告の診察を受けた結果、内痔核を患つていると診断され、同日、被告との間で、原告の内痔核の治療のための根治術とその手術に伴う異常があれば診療する旨の診療契約を締結した。
3 (原告の症状及び被告の診療経過)
(一) 原告は、昭和四五年九月八日に被告医院に入院し、同月一〇日、被告から内痔核に対する手術を受けた。
(二) 被告は、同月一一日午前一一時三〇分ころ、術後初めて原告の治療に来て、肛門に指を挿入して治療した。
(三) ところが、原告は、右治療後、病室のベッドに寝ていると次第に下腹部の圧迫感が強くなり、同日午後〇時三〇分ころ、便意を催す状態になつて、排便すると、下痢のときのような状態で多量の出血をした。そこで、原告は、直ちに、看護婦に出血の状況を話し、被告の治療を求めた。看護婦は、間もなく病室に来て、「先生に話したが、大丈夫です。」と言うのみで、何ら止血等の措置をしなかつた。
(四) その後、原告は、再び下腹部の圧迫感が強まり、同日午後二時三〇分ころには便意を催したので排便したところ、前回同様の多量の出血をした。そのため、原告は、貧血状態となり、便所から約五メートル離れた原告の病室に辛うじて辿りつき、同室の入院患者に依頼して被告の手当を要求してもらつた。ところが、間もなく看護婦が病室に来て大丈夫と言うのみで、被告の診察、治療は、全く行われなかつた。
(五) 原告は、そのうち、またまた下腹部の圧迫感が強くなり、便意を催したので、排便したところ、前回同様の多量の出血をしたため、極度の貧血状態に陥り、便所の中で気を失つてしまつた。原告は、意識が戻つた時、それまでとは別のベッドに寝かされており、被告と看護婦が診察に来ていたが、その際、輸血又は輸液である人血漿の補液を受けた。
(六) その後、原告は、約二四時間安静状態にしていたが、同月一二日夕方からは歩けるような状態になつた。
(七) それから約一週間の間に、原告は、被告から貧血気味であると言われて、二回で合計四〇〇CCの輸血又は輸液である人血漿の補液を受けた。なお、その際、被告は、特に原告の貧血検査をするようなことはなかつた。
(八) 原告は、内痔核がまだ治癒していなかつたが、同月三〇日に被告医院を退院した。原告は、退院の数日前から疲労感を覚えるようになり、食欲も減退していたので、被告にその旨訴えたが、被告は、それに耳をかさなかつた。また、退院後、原告は、自宅で静養しながら、二、三日に一回位の割合で被告医院に通院して、内痔核の治療を受けていたが、だんだん吐気を催すようになり、食欲もなくなつてきたので、通院の都度、被告に対し、「輸血で肝臓をやられたのではないか。」と尋ねた。被告は、これに耳をかさず、肝機能についての精密検査等一切しなかつた。<以下、事実省略>
理由
一請求原因1及び2の事実、同3の(一)及び(六)の事実並びに同3の(八)のうち原告が昭和四五年九月三〇日に被告医院を退院したこと、退院の数日前から疲労感等を覚えるようになりその旨を被告に訴えたこと及び退院後は二、三日に一回位の割合で被告医院に通院したことは、当事者間に争いがない。
二急性肝炎の罹患
<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められる。
原告は、昭和四五年九月三〇日に被告医院を退院したが、その数日前から疲労感を覚えるようになり、食欲も減退していて、退院後は、更に、疲労感、吐気、食欲減退の症状がひどくなつたので、同年一〇月一三日、医師会病院に外来受診した。そこで精密検査を受けた結果、黄疸指数(血清中の胆汁色素量の指標。モイレングラハト法による正常値は四ないし六単位で、皮膚に黄疸がみられるのは一五単位以上である。)が一六単位、血清グルタミン酸オキザロ酢酸トランスアミナーゼ活性値(いわゆる血清GOT活性値という。ライトマンフランケル法による正常値は八ないし四〇単位である。)が四一〇単位、血清グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ活性値(いわゆる血清GPT活性値という。ライトマンフランケル法による正常値は五ないし三五単位である。)が四〇〇単位、血清アルカリフォスファターゼ活性値(いわゆる血清AL―P活性値という。ベェゼイローリー法による正常値が0.8ないし2.9単位である。閉塞性黄疸では、この活性値の上昇がきわめて著明であるが、総胆管の胆石や狭窄では閉塞が不完全であつたり、間歇的であつたりする場合があるので、必ずしも著明な上昇を示さないこともある。急性肝炎のような肝細胞性黄疸では、活性値が正常または中度上昇にとどまることが多い。また、中毒性肝炎でも、肝細胞障害型の場合には、正常か中等度の上昇を示すことが多いが、胆汁うつ滞型では著明な上昇を示す。)が6.0単位、血清蛋白分画(アセテート膜電気泳動法による。血漿蛋白のうち、肝細胞で生成されて血漿内に流入するものには、糖と結合した糖蛋白(α及びβ―グロブリン)と糖が含まれない蛋白(アルブミン)があり、γ―グロブリンは網内系細胞、形質細胞などの間質細胞で生成される。)により、アルブミン(正常値55.0ないし68.0パーセント。多くの肝疾患ではアルブミンは低下するが、急性肝疾患では変化し難く、慢性化とともに低下する傾向があり、特に黄疸を伴う場合にその傾向が強い。)が56.8パーセント(α1―グロブリン(正常値2.0ないし3.5パーセント。アルブミンの生成が減少するときに増加する。)が3.6パーセント、α2―グロブリン(正常値5.0ないし10.0パーセント。炎症性疾患、悪性腫瘍、ストレスなどで増加する。)が6.6パーセント、β―グロブリン(正常値9.0ないし13.0パーセント。)が12.7パーセント、γ―グロブリン(正常値13.0ないし20.0パーセント。多くの肝疾患で上昇がみられる。肝硬変症、特に壊死後性肝硬変症では肝炎に比べて著しく多く、肝炎から肝硬変症の移行を推測することができる。慢性肝炎でも上昇を認めることもある。)が20.3パーセントなどの検査成績が判明した。そこで、原告は、同月一五日に同病院に入院したが、入院時の体重は73.5キログラムで、血圧は一一八〜六八ミリメートル水銀柱であり、主治医の長嶺光隆医師により胆管系の炎症が強い急性肝炎と診断され、同病院で急性肝炎の治療を受けた。その結果、原告の症状については、全身倦怠感や吐気などの自覚症状が昭和四六年二月ころまで時々現われていたがそれ以後は消え、肝機能検査では同年一月ころまで相当高い異常な数値を示していたが、同年四月一日には黄疸指数が四単位、血清GOT活性値が一六単位、血清GPT活性値が一七単位、血清AL―P活性値が1.6単位、アルブミンが63.8パーセント、α1―グロブリンが2.2パーセント、α2―グロブリンが8.0パーセント、β―グロブリンが11.6パーセント、γ―グロブリンが14.5パーセントなどの検査成績がいずれも正常化を示していることが判明し、また、体重も昭和四五年一二月二七日には五八キログラムまで落ち込んだが、昭和四六年三月二八日には66.5キログラムまで回復した。そこで、原告は、長嶺医師の診断により、急性肝炎が治癒したとはいえないものの、同年四月三日に同病院を退院して、自宅療養と通院で経過をみることになつた。
右認定事実のほか、一般に、急性肝炎の潜伏期に続く前駆期においては、発熱、倦怠感、食欲不振、悪心、嘔吐、下痢等の臨床症状があるものの、肝疾患を推測させる所見に乏しいといわれていることを併せ考えるとき、原告は昭和四五年一〇月一三日には急性肝炎に罹患していたことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
三急性肝炎罹患の原因
1 原告は、右の急性肝炎が血清肝炎(B型ウイルス肝炎)であると主張する。
確かに、<証拠>によれば、原告は、医師会病院における長嶺医師の診察の結果、血清肝炎と診断されたことを認めることができる。
しかし、<証拠>並びに弁論の全趣旨によるも、同医師が血清肝炎の診断を下したのは、原告からそれを識別するいわゆるオーストラリア抗原の検出などの理学的検査の結果でなかつたことが窺われ、むしろ、前掲各証拠を総合すると、一般的に、肝炎の病因として説明されているのは、ウイルス、細菌及びスピロヘータの感染や毒物などであり、これらの病因による肝炎のうち最も一般的なものはウイルス性肝炎であるが、中毒性肝炎の頻度も高くなつてきていること、ウイルス性肝炎については、世界保健機構肝炎専門委員会(一九五三年)では流行性肝炎(A型ウイルス肝炎)と血清肝炎(B型ウイルス肝炎)とに分け、ウイルスの存在はA型が尿、血液、便など、B型が血液でその他には証明がないとされ、感染経路はA型が経口的且つ非経口的、B型が非経口的とされており(もつとも、昭和四六年度以降から今日までの研究報告としては、B型の場合には、ウイルスの存在が血液、便、尿、唾液などにもみられ、感染経路が経口的且つ非経口的であるとされている。)、潜伏期は一般にA型が一五日から四〇日、B型が六〇日から一六〇日とされているものの、ウイルスの力価・濃度、個体の免疫力・抵抗力などにより必ずしも一定してはいなく、発症状況はA型が突発的でしばしば発熱を伴い、B型が必ずしも発熱を伴わず通常無熱であるとされていること、原告の場合、原告が昭和四五年一〇月一三日医師会病院において長嶺医師に対して初診時の問診に答えた肝炎症状発現に至る経過は、同医師の記録したところによれば、同年九月六日五回にわたり肛門出血があり、翌七日被告医師に受診、その夜二回出血、同月一〇日手術を受け、翌一一日大量の肛門出血、意識不明となつて、輸血二〇〇ミリリットル、同月一五日二〇〇ミリリットル、二、三日後二〇〇ミリリットル、同月三〇日退院、そのころから食欲不振になり、吐気もあつた。まだやや食欲不振、臭いをかぐとむかむかするというものであつたこと、同医師は、合計六〇〇ミリリットルの輸血を受けた事実を重視し、これによる血清肝炎にしては潜伏期も短かく、AL―Pの数値が高すぎることに疑問をもち、これからすれば薬物によつて生じた肝炎ではないかと考えたが、これだけでそう診断するまでに至らず、結局、輸血を受けた事実との結びつきが強いとの判断から、血清肝炎との診断を下したことが認められる。
右認定事実に基づいて考えるに、長嶺医師は、原告が輸血を受けたことを前提として、輸血後肝炎の血清肝炎との診断をなしたものというべきであり、当時の肝炎についての医学又は医療水準から見ても、右診断はやむをえなかつたといわざるをえないであろう。
もつとも、原告本人(第一回)は、長嶺医師に対して乾燥血液の輸血を受けたと説明した旨供述するが、この供述自体からも窺えるように、原告自身輸血と輸液とを明確に区別して認識していたとも思われないし、もし右供述のとおりであつたとするならば、医師がこれを混同することはないと考えられる。ただ証人長嶺光隆の証言によれば、右診断当時、医師会病院においては、輸液として凍結人血漿溶解液を使用しており、同医師は、血清肝炎が輸血であつても人血漿であつても同様にこれを原因としてのみ発病するものと考えていたことが認められるので、原告本人の右供述のとおりであつたとしても、右認定判断を左右するものではない。
<証拠>によれば、昭和四五年当時、輸液として、人血漿製剤には、プラスマネート(ミドリ十字)、プラスマ(日本製薬)など二社から四種の製剤が発売されていたほか、デキストラン製剤一二種(五社)、修飾ゼラチン製剤二種(二社)、アルギン酸製剤二種(二社)、電解質補液一五種(七社)、糖質補液四種(四社)、総合アミノ酸製剤五種(三社)、脂肪乳剤二種(二社)が販売されていたこと、補血又は栄養補給を目的とする人血漿製剤等輸液のうち血清肝炎の原因となりうるのはプラスマ(日本製薬)だけであつたことが認められる。右事実に加えて、従来、血清肝炎(B型ウイルス肝炎)と流行性肝炎(A型ウイルス肝炎)の臨床所見が極めて類似し、感染経路が経口的かどうか、潜伏期の長短などによつて区別していたのが現在においては血清肝炎においてもウイルスの存在や感染経路など流行性肝炎と区別しがたくなつて潜伏期の点のみにおいて分類しうる程度の前記認定の研究成果とを併せ考えると、果して、輸血又は輸液の補液を受けたことだけから直ちに血清肝炎と結びつけてよいかどうか疑問があり、まず、原告の受けた輸血又は輸液についての事実の検討を要するといわねばならない。
2 原告は、被告から昭和四五年九月一一日以降同月一七日までの間に輸血又は人血漿の補液を受けたと主張する。
(一) この検討に先立ち、診療録等についてみるに、本件記録によれば、原告が被告医院に入・通院した当時の昭和四五年九月七日から同年一〇月一二日ころまでの原告に関する診療録等は、すでに被告によつて廃棄されており、本件訴訟の証拠として提出されていないことが明らかである。いわゆる医事紛争における医療の特殊性、専門性を考えれば、医師側の有する診療録等の記載が事実認定や法的判断をするにあたり重要な役割を担うものであることは今更多言を要しないところであるから、診療録等の不存在については、その理由の相当性、合理性の如何によつて、医師側に不利益な評価をせざるをえない場合もありうること論をまたない。しかしながら、診療録の法定保存期間が医師法二四条二項により五年間と定められているが、本件記録によれば、原告の本訴提起が前記原告に関する診療録の法定保存期間経過後の昭和五二年一二月二七日(これに先立つ調停申立てが同年六月)であることが明らかであるから、原告側において右診療録等が法定保存期間前に処分されていたとかあるいは医事紛争発生時に右診療録が存在していたとかなど被告による証明妨害を推認しうる事実が立証されない限り、被告側に不利益な事実認定を導くことはできないと解すべきである。原告本人(第一回)は、原告が昭和四五年一〇月一五日医師会病院に入院するにあたり、被告に急性肝炎罹患の事実を告げたと供述するが、同時に、原告が翌四六年一一月に被告医院で再び内痔核治療を受けた事実を認めることができ、右法定保存期間内又は処分前において、未だ両者間に、原告の急性肝炎が被告の処置によるとの紛争が生じていたと窺うことができない。他に被告をして診療録等の廃棄をことさら急がせるような事情等、右のような証明妨害を窺うに足りる事実の存在を認めるに足りる証拠もない。従つて、本件では、右診療録の不存在を考慮することなく、検討を進めることになる。
(二) まず、右認定の原告が長嶺医師に告げたとおりの原告主張の期間に被告が原告に対して人血を輸血した事実を認めるに足りる証拠は何もない。従つて、輸血に関する原告の主張は採用しえない。
(三) 次に、原告主張の期間に被告が原告に対していかなる輸液を補液したかどうかを考察するに、<証拠>によれば、被告は、原告に対し少なくとも、昭和四五年九月一四、五日ころと同月一六、七日ころの二回において、それぞれ黄色様の液体である輸液を補液したことが認められる。
右輸液が何かについて、証人高山嶺子及び被告本人は、これがプラスマネート(加熱人血漿蛋白)であつたと供述する。そして、<証拠>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、被告は、昭和一六年九州医学専門学校(現在の久留米大学医学部の前身。)を卒業して直ちに軍医候補生として軍隊に入隊し、昭和二一年六月に除隊になつてから昭和二五年まで久留米医科大学の生理学教室や付属病院の内科で研修を受け、昭和二六年一一月に肩書地で内科及び肛門科を主とする開業医を始めたものであり、右軍医時代から輸血後の血清肝炎罹患の症例を見聞した経験を豊富に持つていたために、患者の肝炎罹患を極力回避するためと、輸血をするためには人血を入手すること自体が煩雑でトラブルが生じ易いことから、輸血を絶対にしない方針にしていたこと、そのうえ、被告が内科及び肛門科の開業医であつたために大手術を行うわけでもなく、被告自身危険を伴うような診療を避けていたこともあつて、昭和三三年ころ以降このかた患者に対して輸血をしたことがなく、被告医院では、昭和四〇年過ぎころから人血にかわる輸液を一、二本程度常備して、精々年間一回程度の割合で患者に使つていたにすぎないこと、その輸液は、被告医院の取引先の薬問屋である川口屋、若狭屋、福岡薬品など合計五店の内の一店から入手していたこと、被告は、右輸液をブドウ糖、強心剤、止血剤(アドナ)と混合して、本件当時に原告に対して点滴注輸したが、被告及び被告医院の高山嶺子見習看護婦においては、その輸液が株式会社ミドリ十字が発売していたプラスマネートであると記憶していること、プラスマネート(一〇〇ミリリットル)は、昭和三九年一一月以降株式会社ミドリ十字から発売されており、昭和四五年ころ福岡市内では、九宏薬品、川口屋等の薬品問屋を通じて官公立病院に販売されていたこと、これは、黄褐色の液体で、使用上の注意としてできるだけ他の薬剤との混合注射をさけることとされているが、他の静注用溶液と混合点滴注輸することも用法としてあげられていることが認められ、右事実からすれば、被告が原告に対して補液した輸液は、プラスマネートであつたと認めるべきであるかもしれない。
しかし、これに対して、原告本人(第一回)は、問題の輸液が乾燥人血漿溶解液であり、被告自身もそのように説明していた旨供述するが、これだけでそうと断定するにはいささか不十分であるといわざるをえない。確かに、<証拠>によれば、株式会社ミドリ十字福岡支店に照会した結果では、昭和四五年当時の福岡市内におけるプラスマネートの販売先は、薬品問屋を通して限られた官公立病院であり、しかも製剤数量も少なかつた(株式会社ミドリ十字福岡支店での昭和四五年当時の月間販売量三五八V。因みに、昭和五五年のそれは一三一二V。)ので、個人病院での入手又は常備が困難であつたうえ、プラスマネートの保存は、凍結を避け、摂氏三〇度以下を指示されていて、有効期間は検定合格の日から二年間であつて、ラベルに表示されていたが、右照会の結果では、被告医院について、昭和四六年から昭和五四年までの九年間、プラスマネートの使用実績が資料としてはないと報告されていること、昭和四五年当時において、北九州市門司区所在の門司労災病院に外科医として勤務していた羽栗純夫医師はプラスマネートを使つてはいたものの、一つの総合病院で一か月に約二〇本程度しか入手できなかつたという実情であつたこと、また当時医師会病院に内科医として勤務していた長嶺光隆医師は、輸液としては主に凍結人血漿溶解液を使つていたにすぎなかつたこと、プラスマネートのほか昭和四五年当時発売されていた人血漿製剤であるアルブミン(日本製薬、ミドリ十字)、プラスマ(日本製薬)、アルブミネート(同)も、すべて黄色ないし黄褐色であつたことが認められるので、昭和四五年当時においては、個人病院がプラスマネートを入手することがかなり困難であつた実情を窺うことができる。
この事実と対比するとき、証人高山嶺子及び被告本人の前記供述は、これを一概に否定することはできないとしても、さりとてそのまま採用するのは、なお若干の躊躇を禁じえない。他にこの点を明確にしうる的確な証拠はない。
以上によれば、本件全証拠によるも、原告が被告医院で補液を受けた輸液が原告の主張するような乾燥人血漿溶解液であつたとまで認めることはできず、加熱人血漿溶解液であつたのか、それともその他のものであつたのかを確定することも困難である。
3 そこで、以上の認定を基礎にして検討する。
(一) 原告に対して補液された輸液が被告の主張するようにプラスマネートであつたかもしれないので、もしそうであつたならば、<証拠>によれば、プラスマネートは、人血漿から低温エタノール分画法により分離精製してできたアルブミン八八パーセント、α―グロブリン七パーセント、β―グロプリン五パーセントを成分とする人血漿蛋白を、これらの蛋白成分を変質させないように摂氏六〇度で一〇時間加熱処理を施し、液の蛋白濃度を約五パーセントとし、0.67パーセント食塩水に相当するナトリウムを含む黄褐色の澄明な液剤であること、プラスマネートや人血清アルブミンなどの加熱人血漿蛋白は、蛋白成分を変質させず且つウイルスの感染力を除く目的をもつて、摂氏六〇度で一〇時間の加熱処理がなされているが、今日までの多数の研究報告例は、これらの製剤を感度の高い方法で検査するときには肝炎ウイルスを検出することがあり、右製剤を患者等人体に注射すると一過性に肝炎ウイルス抗体を生ずることがあるが、右製剤を原因として肝炎の発病をみたものはなく、肝炎ウイルスの感染性は失われていると指摘していること、外科医である羽栗純夫は、昭和三五年八月から門司労災病院外科に、昭和四七年九月から福岡市内の済生会福岡総合病院外科に勤務しているが、現在までの臨床例として、非常に頻繁にプラスマネートを患者に対して使用していたが、血清肝炎が発症したという経験が全くなかつたことが認められるので、プラスマネートを使用した場合、肝炎にならないであろうという高度の蓋然性をもつて推認することができる。
(二) あるいは、また、原告が補液された輸液が原告の主張するようにプラスマネート以外の人血漿製剤であつたことを否定することができないのであるが、このうちプラスマ(日本製薬)以外のものは、先に認定したとおり、血清肝炎を生じないとされているから、原告の肝炎症状の原因となる可能性を認めることはできない。ただ、プラスマ(日本製薬)であつたかもしれないので、仮にそうであつたとするならば、前顕乙第九号証によれば、輸血を原因とする血清肝炎の発病が約五パーセントといわれているのに対し、乾燥人血漿(プラスマ)を原因とするその発病頻度は、輸血よりも高く、調査の中には約一二パーセントに達するものもあり、有毒と認定された血液製剤を使用した場合には約半数の発病を見たといわれていることが認められるので、この場合の血清肝炎になる可能性を否定することはできない。
しかし、前記認定のような原告の肝炎症状や検査結果などから見て、原告の肝炎の原因から薬物による中毒性のそれが必ずしも否定されたわけでもなく、そう診断する余地が残つているというべきであるうえ、肝炎のうちでも最も一般的なウイルス性肝炎について、A、B型ともに、ウイルスの存在や感染経路などが前記認定のとおり現在では広汎多岐にわたつているといわれていることを考慮すると、輸液の使用以外に他の原因又は他の経路からの感染を否定する資料のない本件においては、右プラスマを使用したかもしれないという程度の可能性から直ちに原告の肝炎の因果関係の存在まで導くことは、極めて困難であるといわざるをえない。
4 以上を総合すると、輸血を前提とした長嶺医師の血清肝炎の診断は、その前提を欠くことによつて、そのまま採用することはできない。
また、輸液の補液を前提として考えても、現在においては、これだけで原告の肝炎を血清肝炎であつたと断定することはできない。
更に、血清肝炎に限ることなく、原告の急性肝炎をウイルス性肝炎として考えた場合にも、これと被告の行為を結びつける証拠は見出せない。
四なお、右プラスマを使用し、これとの因果関係が認められたと仮定してみても、前記認定のような原告が被告医院で治療を受けた経過に徴すると、原告の症状に対して補液の必要があつたこと、また、プラスマネートのような加熱人血漿製剤の入手しがたい状況であつたことが認められるのに加えて、当時肝炎罹患の予防又は治療(対症的だけでなく、原因療法においても)に適切な方法があつたことについて何の資料もない以上、被告に原告の主張するような義務違反があつたと評価することはできないというべきである。
(富田郁郎 川本隆 高橋隆)